以下は紀行文作家行田碁田尾による文書の写しです。出版社より掲載の許可は得ています。
本作品は行田氏のメモを元に彼の編集が執筆したものであり、厳密には彼の著作ではありませんが、便宜上著作とされています。
それは、私が趣味の山登りをしている最中に見つけた。古い木造の、凡そ私と同程度なサイズ(私をよく知らないヒトのために記述するが、私の身長は平均的である)の祠。察するに、約三百年前に作られ、山奥という立地の都合から次第に忘れられた代物だろう。一般的な登山ルートから少し離れた地点に存在していたため、現代となっても知名度は低いまま放置されていたのだろう。
周囲を見渡してみる。千葉県某所に位置しているこの山では熊の出現を恐れる必要はない。強いていえば、秋も始まり紅葉が見え隠れし始める今日この頃に、ハチなどには刺されたくなかった。しかしそのような生物の、おぞましく肥大する巣は発見できなかった。代わりに見つかるのは、私に追従している蚊共と、木々から垂れ下がってくる蜘蛛や珍しくなったミノムシ程度である。こういった山を散策していると、昆虫というものの身近さに体が慣れてきて、大抵の生物に驚くことは無くなってくる。最近ではゴキブリさえ触れるようになった。
そんなことはどうでもよく、祠だ。どこかの山には妖精様とかいってこのような祠を作っていた、作っているとは聞いたことがあるが、それとはまた様相が違う。まず第一に閂がされていない。第二に扉が格子になっている。第三に素材がこの森には無い木種(恐らくメタセコイアのものだった)で作られている。つまりこの祠はまた別の神格、もしくはそれに準ずる存在を祀っていることになる。
私は、それに到底触れるどころか近づく気にさえなれなかった。過去作品を読んでくださった方なら分かると思うが、私は『川行く漂流』にて、川原付近でこのような状況に遭遇したことがある。しかしそのときは何の気兼ねなしにその祠を開いて、あまつさえ中身を記述した作品、ないしは本を販売できた。副作用も存在していなかった。しかしながら、この祠は異なる。格子の扉を開いてしまえば、否触れてしまえば、何者かが出てきてしまうような、そう本能が警鐘をならしている。更にいえば、その格子の向こうを見ようとすると……。
動悸がして、私は駆け出した。一瞬、何者かに見られたような気がして、捕食者やら上位者やらに見られたような気がして。火事場のバカ力、とはよく言ったもので、いつもなら一分も走ったら体力も身体も限界を迎えているというのに、私の足腰はひたすらに駆動を続けて。右、左、直進、直進、左と、私ですら行き先を制御できないほどに、脳は恐怖を練り混ぜていた。あの祠に近づいてはならない、触れてはならない、関わってはいけない。途端覚えた天啓は、ただひたすらに私の背中を押す。もしくは、本当に何者かに押されているかのように。ミノムシのように何かを纏って隠れることができたのならそれ以上の至高はないだろう。
〈殴り書き。解読できないため本書では省略いたします。ご理解のほどよろしくお願いします〉
どれだけ走ったか。体感二、三時間程度は走ったように思える。普段使っているメモ帳も酷い殴り書きが多く、到底読み取れない。明日の私が苦労することだろう。何せ、私の記憶からもこの走っている間の記憶がない。確かに山の中を縦横無尽に走っていたはずだが、思考はおろか走行中の景色さえも思い出せない。
何者かに肩を突っつかれた。何かが背後にいる。いつまでもいつまでも走ったのに、追い付かれている。テレポートでもしたのだろうか……? それとも空を飛んで……? 分からない。しかし、もう逃げられる気がしなかった。恐る恐る振り向いてみると、そこには先程までいなかったはずの、数多もの廃棄家電が重なって、積まれて、やがて一つの人型のロボットのように形亻
行田碁田尾〈1975~2026〉
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