或、日本に関する妄言流言詭弁陰謀

 例えば、京都に旅行したとしましょう。
 普段とは異なる府の、見知らぬ駅に降り立った時の空気というのは計り知れないものがあると思います。例えば茶色に染められたコンビニエンスストア、例えば生き残ってきた建物たち、例えば聞きなれない方言。それらを経験するだけでも、異国情緒にも大方等しかろう感情を持てるかと思います。
 しかしながら京都にお住まいのヒトは、これらを全くもって抱かないでしょう。見慣れている、というのもあるでしょうし、常識にもなっているからでしょう。
 では北海道の場合はどうでしょうか。札幌丘珠空港を去って直後に広がる、満面の白銀世界。時期によっては大型の石像の展示祭に感動することができるかもしれませんね。素晴らしい味覚をもたらしてくれる海鮮やラーメン等も、故郷では滅多に味わえないものとして記憶に残るでしょう。しかしこちらも同様に、地元民であれば日常──展示祭に関しては盆踊りのような非日常かもしれませんが──に思っているでしょう。名店と持て囃されている飲食店も、ヒトによっては近くのチェーン店のような、身近なようなものと同じように思っているかもしれません。
 このように、日本という国は少し離れているだけでこんなにも文化が異なり、そういった地へ赴くことで新鮮な空気で肺を占領できるのです。「帰るまでが遠足」というのも、そうした空気を持った肺から、地元の空気へ置換がなされるまでの期間を遠足と呼ぶ、という諭しなのです。
 貴方は異次元生物を目にしたときの衝撃を覚えていますか? ネコの誘拐を、カマキリの円舞を、コトドリの夢占いを、見たときの衝撃を。我々の次元へと千変万化に干渉してくる異次元生物。もし、彼彼女らが他の異次元へと行ったならば、きっと我々と同じような衝撃を受けるでしょう。文化も法則も何もかも違うような異次元を、ある種楽しむかもしれません。我々が他の都道府県へと旅行するように。
 ここで、私は日本人旧異次元生物説を提唱します。言語が異なるように錯覚する方言も、異国のように思える文化も、それぞれが異なる異次元で成熟した、と言われたならば完全とは言わずとも少しばかりは納得するでしょう。私はします。
 しかしここで邪魔になるのが歴史というものでして。神武天皇から早二千七百年。途切れず紡がれてきた歴史の中でバカンスと言わんばかりに他次元へと文化修行の旅に出る時間があるでしょうかいいやない。と、諦めるところでしょう。しかし私は違う。何せ日本には266から413年に欠けた空白期間があるのです。これはこれは格好の修行期間でしょう。短すぎる問題も別にエンエイユシュのような時間干渉系生物を例に出せば解決できよう。さぁ舞台は揃った! 我々日本人は異次元生物だ! 今すぐにでもレポートを書いて提出してやろうではないか! さあ仕事だ仕事だ! 我々を不可視生物とする聖なる儀式の時間だ!



 …………えぇ、ふっつうに支部長から過労働を心配されました。自分でもどうかしてたと思ってますはい。有給五日消費して休めたのでもう大丈夫です。仕事も全て支部長達がやってくれましたし。
 まぁ、皆さんも働きすぎであの世に住まう異次元生物だったり幽霊という完全透過性生物にならないようお気をつけてください。うちのエナドリ「スパイダー」を大量に買い込んでる支部があること、知ってるんですからね。まぁヒトのこと言えませんがね……。
 長々とした妄言流言詭弁陰謀増し増し文書、失礼しました。

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