C-0010-BlacK/クチナーサマ:神代のイザナギ・ビースト

C-0010-BlacK関連記録

大規模生息域「ベバフィニティル図書館」の調査中に発見された『往昔奉祀八咫鳥獣録』という本に、クチナーサマの関連情報と思わしき記述があった為ここに記載します。

(全編を通して現代語に訳し、理解しやすいように多少の編集を施しています)

 名は大太玄武(ダイダラゲンブ?)。その姿は山ほどに巨大な亀であり、甲羅の隙間から蛇を思わせる細長い触手が生えている。その誕生には謎が多く、地球の黎明期に遠い異星より飛来したとも云われる。
 ともあれ、大太玄武は現在の大陸の形が凡そ形成された時期に、今の本州の辺りで眠りにつき、日本列島に人が現れた時には既に死に絶えていた。しかし生物としての形は保っていたため、古代の人々はこの大いなる神亀を崇め、壁画に残した。文字の生まれる以前の話である。
 時代は流れ、平安の頃。大太玄武は形を無くし山と成り果て、人々は残された壁画を見て、山を神格化した精霊信仰の跡であろうと解釈した。以降壁画が発見されても、誰もそれを実在した生物だとは思わなかった。
 だが死して幾星霜を経ても、その身は完全には自然に還っていなかった。蛇のような触手を千切られでもした時、その巨体はビクリと震えた。生物に備わる反射であった。「山から生えた蛇を粗末に扱えば地震が起こる」と、当時の人々が考えるのも無理はなかった。やがて反射も起きなくなる頃、真に大太玄武は忘れ去られるのであろう。
 時に、大太玄武という名は本書の編纂にあたり、生物的な名を与えただけである。平安の世においては、この山の神は旧くからの神であり、その名も朽ち果ててしまったのだと考えられ、「朽名浅間1」と呼ばれていた。
 やがて江戸時代には、新たな壁画が発見された。巨大な亀が甲羅から生えた蛇で辺りの物を食い荒らしている壁画。古代人が妄想した生ける神亀の壁画である。これを見た江戸人たちは、かの山を「上喰山」と呼んだ。これが現代まで残る呼称の始まりとなる。
 以上が、大太玄武に関わる歴史の全てである。

この記述と関係があるかは不明ですが、過去に一度だけ奇跡的に実現した上喰山の地質調査において、地下■,■■■m地点からケラチン質の地層としか形容できない巨大な塊が発見されています。

 

  1. 読み方は「クチナアサマ」であると思われる。また浅間とは、山を意味する古語である。 ↩︎

コメント

タイトルとURLをコピーしました